2009年1月〜2009年3月の日記  トップへ


2009-3-29
・1000

なぜ土曜出勤だった私が仕事帰りに大黒パーキングエリアに居るのか?
まぁ、高速道路の料金が値下げになったので衝動的に…なのですがそれはともかく、ガチっぽい人がたくさんいて怖いよー。思わず友人にメールしたくなったが真夜中だったのでやめといた。ちなみに大黒PAのロケーションはかなり素敵だと思う。

夕食後、ノンストップの約四時間で午前1時頃東京着。意外と早いもんやね。首都高速の環状線(C1)と湾岸線、あとアクアラインがどんな感じか見てくるのが目的だったのですが、ナビがなかったら死ぬとこですよ。自分がどこにを走っているのか把握するのでいっぱいいっぱいです。田舎モンなので都会の景色ってのはあこがれだったりするんですが、首都高って怖いとこやね。

環状線は合流とかほんとに油断大敵。でもほかの車が居なかったら楽しそうではあります。湾岸線は確かにやばいくらいにスピード乗りそうなところです。車は少なかったのですけど景色見つつノロノロ走っときました。


ぐるっと千葉に回って、仮眠取ってからアクアラインへ。海ほたるは…風が強くて寒かっただけですね。ここも一直線だし、最高速族がいらっしゃるんかな?


帰りは中央道で。諏訪湖のほとりからは八ヶ岳が綺麗に見えました。今年も山登ろー。


2009-3-21
・また潜ってきた
廃物件を見にたまに遠征しているのですが、よく考えるとホームの物件を調べてなかったことに気付きました。と言うことで彦根にある佐和山隧道と、仏生山トンネルへ。今回から三脚や長靴を装備しました。

まずは佐和山隧道から



国道8号線現佐和山トンネルの彦根側の入り口手前の左にある細い道へ入ります。左の写真は振り返ってみたところ。妙にきれいな廃屋の横を通りそのまま進むと…


ドロドロの道が始まります。長靴で正解!左手にはしっかりとした石垣が残っています。


右手にはずらっと廃車の列。7台くらい置いてあったような気がします。ボロボロに錆びてるし、苔やら草に包まれてるしで、なかなかの終末の様相。触る気にはちょっとなりません。車って人の手で潰さないと、こういう感じになるんですね〜。


2分も歩けば佐和山隧道の彦根側杭門を拝むことができます。土砂でせき止められたせいか、内部は浸水しちゃっています。扁額はやはり読めそうで読めない。1923年(大正12年)竣工の切石と煉瓦造りの立派な抗門は各所ひび割れながらも一応現存です。


水没してますが、内部まで流れ込んだ土砂のおかげで10mほど進入できます。ちょっと空気が生暖かくて気持ち悪いですが。煉瓦の白化が激しいですね。天井までの高さを考えると水は結構深そうな予感。米原側の坑口は埋められているとのことで先が全く見えません。聞くところによると、この先をゴムボートで確かめに行ったという気合いの入った人もいるそうな…

外側に向かって撮った写真は、言わなければここが車道だったなんて分からないような状態です。まるで橋の下みたい。まさに「廃」の姿であります。現佐和山トンネルが1974年竣工と言うことは50年間くらい現役だったということですね。


さて、次は反対側を見に行きます。埋められてはいるものの、一応跡は残っていると聞いています。右側にマニア道があるので登っていくと三段の石垣を発見。これが昔の峠道っぽいですね。つづら折りだったのでしょうか。


竹藪のおかげで道をトレースできないので直登していくと、開けたところに出ます。おお、これは間違いなく道ですね。帰ってから調べたところ、ここは朝鮮人街道の佐和山の切り通しと言ったようです。


道なりに歩くと現トンネルの真上あたりでまた石垣発見。しかしこのまま行くと逆側に出てしまいます。少し戻って左に行く道はないかと捜しているとそれっぽい道とまたも石垣発見。はて、旧道は二手に分かれていたと言うことだろうか?しかし、しばらく下るとものすごい竹藪に阻まれます。ぐぬぬ、日の当たる斜面の管理されていない竹藪ほど厄介なものはありません。というか、詳細な場所を調べてから来るべきだった…


根性で突っ切ると歩行者用トンネルのすぐ右上に杭門の上半分がありました。なんだ、こんなとこにあるんだったら現トンネルの杭門の上を突っ切ってくればいいだけやん。無駄なことをしてしまった。こちら側も彦根側と同じデザインです。残念な状態ですが、ちゃんと発見できたので満足!


次は仏生山トンネル

国鉄の時代、東海道本線の米原彦根間は1901年(明治34年)にできた仏生山トンネルを通過していたのですが、1956年(昭和31年)の電化に際し廃されたそうです。

米原側杭門。冬の草木が枯れている季節は電車からも見えています。


中は半分水たまりになっています。長靴でぎりぎり通過できました。彦根側は東北部浄化センターができて線路の跡はなくなってしまっています。坑口も埋めようと思えばいつでも埋められそうな感じ。トンネルの上はほとんど土かぶりがありません。そもそも最初はただの切り通しだったところに、落石が多いのでトンネルを造ったそうです。

これにはどなたが作ったか分かりませんが伝説が残っていて、仏生山(多分本当は物生山)に住む龍神が竹生島の弁財天に逢いに行く通り道だったのを、切り通しにして線路を通したもんだから怒った龍神がたびたび落石を起こして往来妨害罪を犯したとかなんとか。

いやぁ、滋賀もなかなかおもしろい物が残ってます。県内をもっと調べてみようと思いました。


2009-3-2
・プチリニューアル
ちょっとやる気が出たので、さらに無意味にブログっぽくしてみました。無駄にページが散在していたのも統合。CSSも結構忘れていてIEとFirefoxの表示の違いに戸惑いましたが、どうにかなりました。

>何かコメントアウトのゴミみたいな物が記事の上の方に有るのは仕様?
ぬわぁ、こんなとこにも罠が!


2009-3-1
・舞鶴
五老ヶ岳公園にて

ここは夜の雰囲気良さげですね。


ブラブラ走っているとナビに廃隧道が表示されました。便利なナビだな。通れるような感じで表示してくれるんですが、何となく雰囲気で廃道だと分かります。


引揚記念館の反対側から廃道が始まっています。

鶴高冲?この隧道はちょっと狭い。直前の道路まではセンターラインがあるのに隧道内はライン無しです。


鉄格子でしっかり塞がれていると思いきや隙間があります。拝み勾配になっていて、反対側の坑口の光は上半分しか見えません。


内部は隙間から水が盛大に湧いていたり、天井含め壁一面にチョークで何か(多分ひび割れ等について)書き記してあったり、色々問題有りそうな感じです。


南東側坑口。やっぱり穴が開いていたりする。大波隧道という名前らしいです。


こんな感じで落ち葉がつもっていけば、そのうちこの道も野に帰るんでしょうかね。それにしても不法投棄が多い。タイヤやら白物家電がゴロゴロ。廃隧道や廃道の入り口をガッチガチに封じる理由がよく分かります。困ったもんだな。後で調べると竣工は1943年。戦時中ですか。

ぱっと見つけたネタの割にはなかなかおもしろかったんで満足して帰路についたのですが、国道27号青葉隧道を通る直前に右手の小屋の奥に大きな黒い穴を見つけてしまいました。福井側へ出てナビを確認するとこんな感じで表示されています。

旧道らしき道です。途中で途切れていますが、穴のあった方向と一致します。うむ、怪しい。(ちなみにこの地図、拡大するとネタバレがあるんで注意。)ということでこの道の入り口に向かったのですが、合流地点には何もありません。激しい藪になって判別不能…。しかし、隧道を出て直後の左手には道らしき段差が見えていたので少し戻ります。


廃ラブホの後ろからアクセスできました。うわ!これはほぼ自然が回復しているー。でも見えちゃった廃隧道はかなり立派だったような…。この道はちょっと細すぎる気がしますが廃道には違いないので進んでみます。
意外に歩きやすいなー、と思ったらなぜか刈り払いしてある。何故に?と振り返ってみて分かりました。電線が通ってるんですね。関電が管理してるのかな。


青葉隧道の上へぐいっとカーブ。一応線形はちゃんと残っています。凹な地形になっているので路面はドロドロ。先達がトラップにかかった跡が随所に残っています。


両脇の段は次第に大きくなり、2mほどの苔むした石垣の切り通しが現れました。ここからは下り…と言うことはここが峠かー。下りもドロドロです。

…あれ、トンネルはどこ行った?

はい、ネタバレです。この道は国道27号の旧々道こと吉坂峠なのでした。なるほど、道の細さも納得だ。


少し下ると右手に目的のものが見えましたが、とりあえずこの道のトレースを続行です。途中でやや上りと下りという分岐があり、安直に下ったら失敗でラブホの入り口脇の斜面に出てしまいました。強引に脱出して廃隧道見学へ。青葉隧道の右手、平地の奥にあります。ここに限らず廃道は秋〜冬でないと攻略は難しいでしょうね。


う〜ん、読めない。そして内部はだいぶ土砂でかさ上げされていますが幅は広いです。入って10mくらいで閉塞。埋め戻されたんかな?


って崩落だー!破棄される前に起こったのか、それとも後かはよく分かりませんがひどい崩れ具合だ。すぐに退散し、旧々道への復帰にショートカットで行こうとして杭門の上に回ると、地面にへこみが。なるほどこれが崩落したところか。こんな地圧がかかってなさそうなとこで崩壊するんだからヤバかった隧道なのかも。

帰ってから調べるとこの廃隧道は吉坂隧道というらしい。1950年竣工で横の青葉隧道が1956年ということは、この隧道の寿命は相当短かったっぽい。


旧々道に戻り、また同じ道を歩きました。吉坂隧道の福井側の坑口は無いようなので埋められたんでしょうかね。良い運動になりましたが、やはり長靴は必要だ。


2009-2-22
・iPod mini
バラします。

4GBのマイクロドライブが入っていますがちょっと容量が足りないので…

32GBのCFに交換です。PCにつないでiTunesからリカバリすると問題なく認識。nanoを買おうかとも思ったのですが容量以外は別に不満がないので、これで安くあがりました。
でも冷静に考えると半分の16GBでも充分だった…

・タイヤも交換
またまたS.driveです。なんというか丁度良い感じのタイヤ。それにしても今年はスタッドレス履いた意味が無かったわー。


2009-1-24
・バッテリー
スカイラインのエンジン始動時のクランキングの音が「キュ…キュ…キュキュキュ」と明らかにやばくなったのでバッテリー交換しました。R33のバッテリーは後期セダン以外はトランク内にあるので、密閉型の専用バッテリーになっています。GS YUASAのHJ-LB20L、ネットの通販で1万6千円でした。高いわー。でも効果は抜群!交換したらクランキング1〜2回でエンジン始動するようになりました。

この車、たぶんバッテリー交換するのも初めてなんだろうなー。もう700km走れば10万km突破ですし、これから色々交換するものが出てきそうです。まぁそれでも最後まで乗るつもり。


2009-1-11
・タイヤ
通勤には使ってないのでスタッドレスタイヤに交換しなくても良いかな、と思っていましたがやはり車を使いたい時もあるので、いよいよ交換しました。

リアはだいたい思っていたとおりの減り具合。内側がやや減り気味です。4万kmも走ったし、もう交換だなぁ。まぁ遊ぶために使う手がないでもない。


フロントは…なんじゃこりゃー!内側がツルツルじゃないか。これはアライメントが頑張って走る用のセッティングになってしまってゐる。


2009-1-1
・謹賀新年
去年は1年前には全く予想できなかったほど盛り沢山でした。今年はどうなる事やら。まぁ色々頑張りどころでしょうね。さて、一眼レフ買ったんでバリバリ撮って日記書いていければいいなぁ。去年は自転車は腰痛とケツ痛でほとんど乗れませんでした。今年もちょっと厳しいかも。山登りとドライブは相変わらずしていくでしょうね。今年もそんな感じのボンクラをどうぞ宜しくお願い致します。

・私信
>取り敢えず11-12月の話を聞きましょうか、来年にでも。
うぃ。まぁ今年もよろしくー


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